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調剤の概念

 昔々、医薬分業する前の時代に僕は病院に勤務して居た

 普段は多くても1日1500枚くらいの処方せんが、あるとき暮れだったか、2000枚まで行った 。調剤課長が「やった!2000枚突破だ」と叫んだ。どこか嬉しそうな声だったのが、へとへとの薬剤師たちから顰蹙をかった。患者に接する時間は、単純に8時間として一人あたり14秒。外来は基本午前だから実質は10秒以内だっただろう。とにかく待ち時間の解消が最優先。疑義照会は最小限、明らかな処方過誤で無い限りスルー、情報提供も、服薬指導もなにもない、もちろん薬歴もない 。
 分業化された調剤室で散剤担当はひたすら粉を量り続け、ある者は分包器で粉を撒き続け、錠剤担当は一日中錠剤を数え、ハサミで切り、輪ゴムでとめ、調剤室の中を走るベルトコンベアに処方せんと薬を投げ込む。工場のアッセンブリー(生産ライン)に付く作業員と同じだ。
調剤とは、こういうものだ、と初任者である僕は理解した。
 医薬分業の時代になった今日でも1日1000枚をこなす保険薬局がある。保険調剤の加算を算定しているから、薬歴も、情報提供も、指導も行っていることになってはいるが、1日1000枚では、やっぱりそれなりの仕事だということがわかった。

 昨年、自分の病気で院内処方の大病院を受診したときに、薬を待つ間に投薬のようすを見ていたら、だいたい一人5秒から10秒、長くて30秒だった。調剤とは、こういうものだと、国民も、医者も、看護師も理解している。このように概念として定着した「調剤」は、そんなに難しい仕事でなく、医者も、看護師も あれくらいなら自分にもできる、と思うだろう。

 このような調剤の概念(薬剤師業務の概念)は、日本に特有のもので世界的な標準とは大きくかけ離れている。海外視察に行ったときに、向こうの薬剤師に日本式の調剤を紹介し、それをどう思うか尋ねてみた。すると「なぜ包装を開封するんだ?」と、信じられない(バカジャネーノ)というそぶりを見せた。あたりまえだ。これは日本にしかない調剤なのだ。
 包装が瓶であった時代には欧米でもピルカウンティングという作業があったが、ヒートシール、PTPが普及したらそういう仕事は消滅した。しかし今日も日本全国で大勢の薬剤師がピッキングをしている。
 ピッキングは、コモディティの配送・配架に向けた作業呼称、すると、機械的作業に堕したものとも言える。 薬剤師が、管理監督するのではなく、抱え込む形で、かえって誤解を広げた結果が今日、調剤の概念となっている。

 このような概念のもとになったのが、慶応大学病院の当時薬剤部長・西垣先生のお書きになった「調剤学」 ではないだろうか。 僕が若いころにはたいへん注目された。大方の意見は 「これで、薬剤師の仕事が学問になった」と評価したが 僕は (そうかな?) と思った。当時も、調剤学を批判する意見はあった。批判を認めつつも、手仕事を奪われたら多くの薬剤師が失業するから、という意見が大勢を占めたと思う。
 当時の慶応大学病院では、大勢の薬剤師がひたすら粉を量り、撒き、錠剤を数え・・・・そして、窓口で投薬していた女性は無資格者であったと記憶する。(たまたま僕が見せてもらったときに、そうだったのかもしれないので、違っていたらお詫びします。)
 それを見て、「調剤学」は間違いだと僕は確信した。この時点で、日本の薬学、薬剤師は世界標準から分かれ、堀岡先生に継承され今日の日本で行われている事実上の標準に向かったと思う。  その系譜は現在の「調剤指針」(日本薬剤師会編)に受け継がれ、保険調剤報酬の体系と薬学教育コアカリキュラムに反映されている。

 昭和49年以降、医薬分業を国民に啓発するために、薬剤師会は「院外処方せんでも病院の中と同じように・・・」というキャッチコピーを使っていた。当時、病院の中で行われていた「調剤」は病院医療の一部であり、医行為の一部であるという一つの「概念」である。 医師も、看護師も、病院経営者も、「調剤」とはそういうことだ、と今でも思っている。

 医師は他の専門職の領域である業務をすべて「できる」という考えで日本の医師制度は構築されている。 看護師の仕事は医師の指示に基づく医行為の補助であるし、放射線技師、検査技師の居ないところ(例えば離島)でも、医師は一人で医療が行えるように、それぞれの法律はできている。 ところが「調剤」だけはそうでない。  
 それは医師法に書いてある。
医師法 第22条【処方箋の交付義務】  
 医師は、患者に対し治療上薬剤を調剤して投与する必要があると認めた場合には、患者又は現にその看護に当っている者に対して処方せんを交付しなければならない。
 ここで「できない」と言う意味は、技術的に、能力的に「できない」ことを指していない。最近のOTC添付文書の言い方に倣えば「してはいけないこと」なのだ。

 当時のほとんどの病院では、注射薬には処方せんというものが存在しなかった。内服や外用は処方せんにより薬剤師が「調剤」し、注射薬は看護師が「準備」し、「混合」「投薬」までしていた。 注射薬調剤という言葉が出てきたのもこの時代からだ。配合変化さえわかっておらず、しょっちゅう白濁していた。僕は病棟で看護師から混注の仕方を教えてもった。 病院全体では注射剤の割合がもっと大きかったのに、大勢の薬剤師たちがしていた「調剤」は、注射剤を除くものであった。
 注射に関する看護師への指示を記した書類は「注射伝票」とか「注射箋」「指示箋」などと呼ばれていて、「処方せん」とは呼ばれていなかった。 それが処方せんであれば、看護師が「調剤」をしたことになるからである。処方せんであれば、医師は患者に交付せねばならないからである。 「処方」は「指示」ではない。 看護師は医師の指示により注射薬を投与しているのであって調剤はしていない。  
 調剤の概念を考えるとき、処方の概念を合わせて考える必要がある。 調剤と処方は対概念(ついがいねん)となっていて、一方の概念がもう一方の概念を規定している。