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日本社会薬学会

あと1-2年、厳密に言えば残りがあるのだが
このへんが僕らの年代としては一応の到達点だ

10/13-14日連休の二日間、町田市の昭和薬科大学に居た
年会長の串田先生にはほんとにお疲れ様と言いたい
もちろん年齢差が少しあるが
今年引退した北海道薬科大の早瀬先生から
社会薬学の第二世代が次々に定年を迎える
私たちは自分の責任世代の期間にどこまで到達できるのか
口にはしないが、同じ世代の会員が若い時からお互いに確認しあってきたような気がする

年会の最後のセッションは全国の支部が現状を報告した
その現状よりも、説明する先生方のお話の仕方から
日本の社会薬学がどこまでの実力をもったかを把握できたと思う
優秀な発表に送られるSP賞に、どんな研究が選ばれたかも同様だ
片平先生、中村先生、遠藤先生のお姿があった
第一世代の先生方の参加が少なくなくなったのが寂しい
しかし若い研究者もちゃんと育っている
やがて僕らの世代もそんなふうに見られる日がくるのだろう

二日目、ちょとサボって、薬用植物園に行ってみた
誰もいないし、広大な敷地はあまり手入れがされていないから深山幽谷のような感じだ。池には赤とんぼ、木には柿の実が色づいている。

何度も破綻の危機を乗り越えて貧弱な学会がここまで来たのは、それだけで賞賛に値するのだが残念なとこもある。
いろいろな講演に出てくる「社会」がいったい何であるのか
社会薬学を「薬と社会」などと偽装した30年前から明らかでない
おそらくそれは「医薬品産業」のことであったり、「薬事制度」や「地域社会」、「哲学」、「倫理」で」あたりするのだが、研究者相変わらず「社会」と言っている

また、倫理の話はどれも医療倫理、臨床倫理、生命倫理であって、それこそ「社会」が要求する利益相反や公共性、公益性、公共哲学にはなかなか触れられない。
同様に「地域」あるいは「地域の」という言葉が何を指すのか
おおかたは地図上の範囲、または行政区画とい意味に使っており
そこに暮らす人々との関係性において語られない

各大学に社会薬学系の講座が置かれ、教員が増えたのは喜ばしい反面
文科省のコアカリキュラムに縛られ自由な発想ができない
大学内ではまさに「残余領域」(ネガティブな意味・雑用)になってしまう
こちら(実践側)から見れば、そこが不満な近年だった

今年の年回で猪飼先生をお招きできたのは、そこを払しょくする意味があったように思う。まさに脱構築、社会学の方法を見せつけてくれた。

一方、大学側からすると実践側、つまり人倫を動かしうる立場にある者のふがいなさに強い不満がある。あちこちで掴まり「薬剤師会はなぜ・・・・」という話を聞かされた。